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東京高等裁判所 昭和36年(う)1484号 判決

被告人 平永義夫

主文

本件控訴を棄却する。

理由

所論は、被告人は原判示の如く、有限会社滝野川製作所の専務取締役として、宮下正一との間で、互に約束手形を融通しあつており、右宮下正一は昭和三十二年一月八日死亡するに至つたが、同人はその死亡前被告人に対して、千代田工機商会代表者宮下正一なる振出名義の約束手形を作成して、これを被告人の会社の融資先である広瀬市太郎に差し入れることを一任し、千代田工機商会代表者宮下正一のゴム印や宮下と刻した印鑑等を被告人に預けていたのであつて、同人は右の如き手形振出に関する代理権を被告人に与えていたものである。商法第五百六条によると、商行為の委任による代理権は本人の死亡によつて消滅しないことが明らかであるから、本件各約束手形が右宮下の死後振り出されたものであつても、被告人が千代田工機商会代表者宮下正一名義の本件各約束手形を作成し広瀬市太郎に差し入れた行為は、なんら有価証券偽造並びに同行使罪を構成しないのであり、しかも、被告人は宮下正一の死亡後その相続人宮下剛吉を有限会社滝野川製作所に呼び、従来どおり被告人において千代田工機商会代表者宮下正一なる名義の手形を書き替え作成し、これを広瀬市太郎に差し入れることの了解を得ており、広瀬においても宮下正一が死亡していることを知りながら右各手形の割引に応じているのであるから、この点からいつても本件被告人の行為はなんら犯罪を構成しないにもかかわらずこれらの点を看過し、被告人を有価証券偽造並びに同行使罪に問擬した原判決は、事実を誤認し、又は法令の解釈適用を誤つたものであるばかりでなく、判文に「擅に」手形を作成したことを掲げていない点において事実摘示に不充分な点があり、判決に理由を付しない違法があると主張する。

しかし、商法第五百六条の規定は、営業活動に関してこれを行う個人よりは営業自体に重きを置き、この見地から敏速適切な営業活動が個人の死亡によつて妨げられないようにするため設けられた規定と考えられるから、右規定の適用は営業の継続を前提とし、本人より相続人に承継された営業の継続期間中の行為についてのみ適用あるものと解するのが相当であるところ原審第二回公判調書中証人宮下剛吉の供述記載によれば、宮下正一は、千代田工機商会なる商号を用いて個人で機械商を営んでいたが、死亡する一年位前から事業不振のため営業を廃止し何人もこれを承継しなかつたこと、同人の三男宮下剛吉は父の生前から同一の営業場所で千代田商会なる商号を用い建築材料商を営み、父正一の死後も右営業を継続しているのであるが、取引商品も顧客も父の営業とは全然異つており、従つて、右剛吉の営業は父正一の営業との同一性が認められないことがそれぞれ明らかであるから、宮下剛吉はなんら宮下正一の営業を承継していないものというべく、記録を調査しても右認定を左右するに足りる確証を発見することができない。してみれば、宮下正一が被告人に対し本件各手形の振出を委任したことは同人の営業のためになしたものと推定されるのではあるが、同人は本件各手形が振り出される以前既にその営業を廃止して間もなく死亡し、その営業が何人によつても承継されなかつたことは右認定のとおりであるから、本件各手形の振出については商法第五百六条の適用はないものといわなければならない。

次に、被告人は、宮下正一の相続人宮下剛吉の承諾により右の如き各手形を作成する権限を有していたとの所論について考えてみるに、かりに宮下剛吉が所論の如く宮下正一の死後も、被告人が千代田工機商会代表者宮下正一なる名義を用いて手形を発行することを承諾したとしても、前記のような営業の承継等特段の事情の存しない限りは、相続人自身といえども、死亡した被相続人の名義を使用することができないことはもちろんであるから、まして他人に対して被相続人たる死者の名義の使用を承諾する権限のないことはいうまでもないところであつて右の如き特段の事情の認められない本件にあつては、宮下剛吉の承諾が、被告人において死者たる宮下正一の名義を使用する権限を与える根拠とならないことは理の当然であり、かりに右のような承諾があつたとしても、これをもつて本件有価証券偽造行使罪の成立を阻却することができないことは多言を要せずして明かである(広瀬市太郎が宮下正一の死亡の事実を知悉して本件各手形の交付を受けたとの事実については、この点に関する被告人の当公廷における供述は措信し難く、記録に徴してもかかる事実を認めるに足りる確証はない)。

それ故、弁護人の原判決の事実誤認又は法令適用の誤りを主張する所論は、右説示するところと異る見解に立脚するものと認められ、いずれも採用できない。

(その余の判決理由は省略する)

(裁判官 高野重秋 上野敏 今村三郎)

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